みささんこんにちは!整体師の村井雅紀です。今日は、わたしがなぜカイロプラクター(整体師)になったのかについて申し上げます。
実はわたしは16年間会社勤めをしていました。電気通信系のしごとを10年、人材育成系のしごとを6年です。企業組織の中の情報伝達や人と集団の効率化や効果性を高めることに大変意欲的にはたらいていました。
あまりに仕事がおもしろスギてのめりこみ休日出勤深夜残業、国内出張を繰り返す毎日でした。今考えるとかなり「仕事依存」になっていたようです。やがて体調を崩し、自律神経失調やうつの状態に陥ってしまいやがて休職そして39歳のときに早期退職制度をつかってリタイアという運びになってしまいました。
退職後、しばらくゆっくり身体をやすめながれ次のしごとを考えたのですが「働き盛りで仕事を頑張っている方の応援をしていきたい」という思いがだんだん強くなりました。
あれやこれや20~30の職業を思いうかべたなかで「自分らしい」「自分の経験がいかせる」「ちいさくはじめてじっくり永くとりくめる」という観点で最後に「飲食店」「整体師」という仕事が候補に残りました。
尊敬して信頼しているもとの上司や会社の先輩にも相談したうえで「自分が痛いおもいをしたぶん、顧客の立場にたって提供できる」「自分の研究熱心さも辛かった経験もすべて活かせる」というところに辿りつき、「整体師」におちついたわけです。
10代のころからの友人や旅先でたまたま知り合った方にも「お前にふさわしい仕事だと思うよ」「かるい気持ちで小さくはじめてみるといいよ」と声をかけていただいてこの世界に飛び込むことにしました。
おもえば中学2年から腰痛モチで高校一年のときには腰椎椎間板ヘルニアで坐骨神経痛に苦しみ、整形外科手術を受けたことがわたしのこの仕事にたどりつく大きな背景になっていました。
緊急病院の集中治療室勤務だった母親も腰痛や顔面神経痛、自律神経失調症になやんでいて、そんな姿をずっとみて育っていたのも影響しているかもしれません。
少年時代から剣道をやって走ることも好きだったのですが、その反面、副鼻腔炎や膀胱炎、腎盂腎炎にかかることもあり、病弱気味もあるけど負けず嫌いで結果を出したいタイプでした。そんな経験や気質もこの仕事には生きているようにも思います。